横浜駅きた西口から徒歩3分の心療内科、精神科、メンタルクリニック|ねぎしクリニック、横浜西口カウンセリングルーム

ねぎしクリニック:045-311-9661

横浜西口カウンセリングルーム:045-311-9663

〒221-0835 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町2-22-3 伊藤ビル3階

  • HOME
  • あがり症Q&A

あがり症Q&A

あがり症Q&A

あがり症・社会不安障害・対人恐怖についてのQ&Aをまとめました

いわゆる対人恐怖あるいは社会恐怖あるいは社会不安障害(SAD)

  • よく知らない人たちの前で他人の視線を浴びる状況が不安。
  • 人前で恥ずかしい思いをする行動が苦手。
  • 人前で吐くことを恐れ、会食が苦手。
  • 他人と目が合うのがストレス。
  • 相手に赤面、顔のこわばり、手の震え(本態性振戦との鑑別が困難)を気づかれるのが怖い。
  • 大勢の人前で異常に緊張する。
  • まったく知らない人より、少し顔見知りの人の方が苦手なことが多い。
  • 初対面の相手にはさほど緊張しないが、幾度も会うと自分の欠点がわかってしまうので恐ろしくなる。
  • 反対に、顔見知りの人より初対面の人が苦手な場合もある。

重症の対人恐怖となると

  • 自分の容姿や動作が変で、相手に不快感を与えていると思っている。
  • 自分の重大な欠点(赤面・視線・表情など)の存在は周囲の人たちの態度から直感的に感じ取られる。
  • まれに、発汗、腹鳴、口臭、便臭が周囲の人に気づかれるのが怖い。

対人恐怖の分類名称(対人恐怖と社会不安障害 笠原俊彦著 を参考)

【不安になる状況による分類】
(人前恐怖):人前に出る状況が苦手
(目上恐怖):目上の人と会うのが苦手
(異性恐怖):異性の人が苦手
(スピーチ恐怖):人前でスピーチをするのが苦手(プレゼン恐怖)
(朗読恐怖):人前で(立って)朗読するのが苦手
(歓談恐怖):大勢の中で歓談するのが苦手(パーティー恐怖)(飲み会恐怖)
(人前電話恐怖):人前で電話を取って話をするのが苦手
(会食恐怖):人と食事をするのが苦手
(他者視線恐怖):他者から注視されるのが苦手(人混み恐怖に関係する?)
(自己視線恐怖):自己の視線を他者と合わせるのが苦手(人混み恐怖に関係する?)
(場しらけ恐怖):人と話ししていて、場を白けさせるのが苦手

【不安の身体的症状による分類】
(赤面恐怖):人前で顔が赤くなるのが苦手
(変な表情恐怖):人前で変な表情になるのが苦手
(吃音恐怖):人前でどもるのが苦手
(震え恐怖):人前で手や声が震えることが苦手
(嘔吐恐怖):人前で嘔吐するのが苦手
(発汗恐怖):人前で発汗するのが苦手
(失神恐怖):人前で意識を失って倒れるのが苦手
(頻尿恐怖):人前で頻回に尿意が生じるのが苦手
(頻便恐怖):人前で頻回に便意が生じるのが苦手
(排尿恐怖):人前で(公衆便所)で排尿が長いのが苦手

日本の重症の対人恐怖とDSM-IVの社会恐怖(社会不安障害)との違い

  • 日本の文化的特異性を背景とする重症の対人恐怖は、「他者に不快感を与えるのではないか」、「他者に嫌われるのではないか」という特徴をもち、自己臭恐怖、自己視線恐怖、醜形恐怖などと呼ばれる身体的欠点を確信している他者志向的なもので、他者から注目されることを恐れるDSM-IVの社会恐怖(社会不安障害)の中で適切に分類されていない。
  • DSM-IVのなかで、これらに近縁の病態として妄想性障害の身体型(delusional disorder ,somatic type)や身体醜形障害(body dysmorphic disorder)があげられる。

社会恐怖Social phobia(ICD-10を参考に作成)

  • 青年期に好発する。
  • 比較的少人数の集団内で(雑踏とは対照的に)、他の人々から注視される恐れを中核とし、社会状況を回避すること。
  • これらは限定していることも(人前での食事、人前での発言、あるいは異性と出会うことなど)、あるいは全般化しほとんどすべての社会状況を含んでいることがある。
  • 人前での嘔吐の恐れが重要なこともある。
  • 日本では、直接目と目が合うことがストレスになることもある。
  • 社会恐怖は低い自己評価と批判されることに対する恐れと関連している。
  • 赤面、手の振戦(本態振戦との鑑別が困難)、嘔気、尿意頻回を訴えとすることもある。
  • 症状はパニック発作へと発展する可能性もある。
  • 回避が顕著な場合はほとんど社会的孤立にいたることがある。

社会不安障害Social Anxiety Disorder(DSM-IV-TRを参考に作成)

  • よく知らない人たちの前で他人の注視を浴びる社会的状況や行為する状況に対する持続的な恐怖。
  • 恐怖している社会状況への暴露によって不安反応が誘発される。
  • 恐怖が過剰で、不合理であることを認識している。
  • 恐怖している社会的状況または行為をする状況は回避されているか、またはそうでなければ苦痛を感じながら耐え忍んでいる。
  • 恐怖のために、正常な毎日の生活習慣、職業上の(学業上の)機能、他者との関係が障害されている。

ICD-10の社会恐怖とDSM-IVの社会不安障害との違いの比較

  • 中核症状の診断条件はICD-10では注視される恐怖とその回避のいずれかがあればよいが、DSM-IVでは注視される恐怖と回避のどちらも必要。
  • 対象となる相手はICD-10では知っている人への恐怖であるが、DMS-IVよく知らない人への恐怖。
  • 身体症状はICD-10では赤面、手の振戦、嘔気、尿意頻回を上げているが、DSM-IVではパニック発作の形をとることがあるとだけ規定している。
  • 機能障害についてはICD-10では社会的孤立をあげているが、DSM-IVでは社会習慣、職業上の(学業上の)機能障害、社会活動障害をあげている。
  • 恐怖が過剰であること不合理であることの病識はICD10では取り上げられていないが、DSM-IVでは取り上げている。
  • 小児についての条件はICD-10ではないが、DSM-IVでは18歳未満に対し持続期間6カ月以上と規定している。
  • 恐怖する社会的状況の条件はICD-10では限定と拡散とを記述しているだけだが、DSM-IVでは恐怖がほとんどの社会的状況に関連している場合に全般性と特定せよと規定している。

“あがり症”は操作的診断の社会不安障害SADと同じ症状群か?

他者の評価が気になる不安障害(SAD)には、症状の程度の差があって、人前で発表するときのみ緊張する人から、あらゆる対人場面で緊張する人までいることはよく知られています。ということは社会不安障害は症状群であるといえます。実際に社会不安障害は、いろいろな対人場面での緊張の度合いを問診して、それを点数化して診断されることが多いです。それは、操作的診断と呼ばれるものでしょう。

同じように、他者の評価が気になるあがり症もあがる度合いに差があって、教室や職場の前の壇上で発表するときのみあがる人から、教室や職場にいるだけであがる人までいます。

しかし、あがる人の性格傾向にも差があって、自己顕示、自己表現欲の強いあがり症の人もいます。例えば、「有名になりたい。」、「芸能界でビッグになりたい」あがり症の人がいます。また自分主張の強いあがり症の人もいます。例えば、「ユニークでありたい集団行動の苦手な」あがり症の人がいます。他者の評価が気になる性格は同じでも、「自責的な人」と「被害的な人」そして「どちらでもない人」などさまざまです。

また、あがる対象となる他者にも差があって「初対面の人にあがる」、「顔見知りにあがる」、そして「どちらにもあがる」人がいます。

さらに、あがりへの対処行動にも差があり、「回避的」で引きこもる人ばかりでなく、「行動的で」克服しようと努力し続ける人もいます。あがりの克服というのは日本ではかなり一般的ではないでしょうか。
以上のように、あがり症はモザイクのような症状群であると考えられます。したがって、あがり症は臨床的には、さまざまな精神療法、薬物療法が必要であると考えられ、治療法の工夫が難しい疾患であると考えられます。

“あがるから手が震えるのか(社会不安障害SAD)”
“手が震えるからあがるのか(本態性振戦)”

“手の震えを主訴に患者さまが来院したら?”どうしましょう。

まず、身体的疾患を除外しなければなりません。“手のふるえ”をきたす身体疾患は多数あります。パーキンソン病、甲状腺機能亢進症などいろいろです。身体所見、検査データをよく検討する必要があります。

身体疾患が否定され、“手の震え”を他人に気づかれるのを恥ととらえ、人前で緊張し、あがる人がいます。ここで社会不安障害(SAD)をうたがわれることになります。

ここでひとつ注意したいのは、神経学的所見で見落とされがちな、本態性振戦です。“若い女性がお茶を訪問客に出すとき”、“理容師、美容師が苦手な客の髪を切るとき”“客にバーのマスターがカウンター越しに料理を出すとき”手が震え緊張する、あがるなどの場合です。本態性振戦は、精神的緊張に伴い“手のふるえ”が増強するので、社会不安障害(SAD)と間違えられやすい疾患です。

要するに、“震えるからあがる”が本態性振戦で、“あがるから震える”が社会不安障害(SAD)といえるのではないでしょうか。

あがり症(社会不安障害SAD)に強迫性障害(OCD)の併存は多い

あがり症(社会不安障害SAD)の人に強迫性障害(OCD)の併存が多いといわれています。

確かに診療していて、あがり症のことを話していると思っていたところ、かなり几帳面で、確認ややり直しをする重い強迫性障害(OCD)のことを話していることが、たびたびあります。

あがり症に強迫性障害の併存が、なぜ多いのかわかりませんが、診療の時に気にとどめておきたいと思います。あがり症で苦しんでいる方も、もしかしたら強迫性障害で悩んでいないか合わせて考えておくとよいと思います。

重症のあがり症・全般性社会不安障害(全般性SAD)・対人恐怖の人は職場を転々としやすい?

職場にいるだけで、緊張し、あがってしまう人がいます。“職場の周囲の視線が気になる”、“自分の言動が周囲に不快感。迷惑をかけている”、“周囲の人に受け入れられず、嫌われている”と、本人に周囲はそれほど注目していないのに、思い込んでしまう人がいます。

これらの人は重症のあがり症・全般性社会不安障害(全般性SAD)・対人恐怖と言えるでしょう。

このような人は、結局、現在の職場になじめず、転職して、新しい職場に移り、はじめから新しい職場で、新たに人間関係を築こうとします。しかし、同じことの繰り返しで、次の職場でなじめず、職場を転々としがちです。

本人も、なぜ職が長続きしないのか苦しんでいます。それに、医学的にお役にたてればと思っています。

あがり症・社会不安障害SADでも“芸能界”に進みたがる?

人前でパフォーマンス(何かをして)をして、受けて(受け入れられて)、大勢の人に肯定的に受け止められ、喜ばれるのは誰にとっても快感ではないでしょうか。まして、それが“自己表現したいこと”、“かっこいいこと”だったらなおさらです。

そのような体験がきっかけになっているのでしょうか、あがり症の人の中に、”あがるけど、目立ちたいと、芸能界を目指して努力している”、下積みの若者がいるようです。

例えば、あがりやすいのに、“お笑い芸人を目指す若者”、“アイドル歌手を目指す若者”、“ミュージシャンを目指す若者”に出会うことがあります。彼らの困っている症状は“本番に考えたとおりにしゃべれない”、“本番に歌う声が震える”、“本番に楽器がうまく弾けない”などです。

彼らの“あがり症”を医学的に軽くすることはできると思います。これらの若者が、将来“ビッグになる”、“有名になる”ことが、もしあれば、うれしいことです。

あがり症(社会不安障害SAD)のママは保護者として子育てに苦労する?

あがり症(社会不安障害SAD)の人の苦労は、非婚・晩婚を乗り越えて結婚して、子供を授かっても続きます。今回は子育てママさんの例を挙げます。

まず公園デビューです。あがり症の人は、子供が遊んでいるのを見ながら、顔見知りの人と、何気なく雑談をするのが苦手な傾向があるようです。しまいには、人の輪に入れず、そそくさと自宅に戻っている人が多いのではないでしょうか。

その次に待っているのが、幼稚園・小学校・自治会の役員です。意外と学校・地域で行事が多いものです。交渉事、人をまとめるのが苦手なあがり症の人にとっては、役職・役員は苦痛です。あがり症の人は、他人に物事を頼む、役割を割り当てるのが苦手で、周りの人に嫌われているのではないか、どう思われているのかと戦々恐々となっているのではないでしょうか。

単にリーダーシップがない、と言い切られてしまえばおしまいですが、ない人はそれを乗り越えていくのが大変と推察されます。

“非婚”・“晩婚”と“お笑い”・“バラエティー”との関係は、
あがり症(社会不安障害SAD)の若者にはつらい?

私が診るかぎり、あがり症の若者は、たいてい異性にあがりやすい傾向を持っていると、感じられます。そのため、現代の若者の“非婚”・“晩婚”の人たちの中に、あがり症の人が多く含まれている気がします。

そう推測する理由の一つに、現在の若者の好みの傾向が、“お笑い系”・“バラェティ系”の芸能人に代表されるような、“相手を楽しませる人”・“相手を笑わせる人”に好感をもつように変化したことが、あげられると思います。

あがり症の人にとっては、人前で相手を笑わせるはおろか、自然に振る舞うことすら時には困難です。

元来、内気で人見知りな、あがり症の若者には生きにくい世の中になったのではないでしょうか。無理をして、おもしろおかしく、明るくふるまわなければいけないのですから。

“あがり症(社会不安障害)”は“引きこもり”の背景の一部か?

ここでも あがり症、社会不安障害、対人恐怖を一緒にして考えてみます。

あがり症が、引きこもりの背景の一部ではないかと、言われています。私は、ある程度この意見に賛成です。

中高生の不登校で引きこもりの人たちの中にあがり症の方がいます。彼らは“クラスになじめない”と言うことが多いようです。彼らは、たいてい自分から話しかけることは少なく、話しかけられるのを待っています。最後には、雑談する友人がいなくなり孤立することもあります。

しかし、高校中退して引きこもった方の中には自分の道を見つける方もいます。例えば、大学認定試験を受けて、志望大学に入学する方がいます。また、自分にあった仕事を見つけて働き始める方もいます。

この中で、どんな場面に対しても、あがる(緊張する)方は引きこもりが長くなりがちです。一般に、そのような方たちの中に、“全般性社会不安障害”と診断できる場合が多いようです。

このようなどんな場面でもあがる(緊張する)タイプの方の診断に注意する点があるように思われます。それは注察念慮・関係念慮です。学校や職場のみで周りから見られている、うわさされている程度なら注察念慮・関係念慮は軽いと思われます。しかし、街や雑踏で見られている、うわさされていると程度は重いと思われます。重症の対人恐怖や他の疾患を考えなければならないかもしれません。

“あがり症(社会不安障害)”は医学的に“治療可能な病気”とアメリカより日本で社会的に知られていない?

ここでも“あがり症”を“社会不安障害”・“対人恐怖”とほぼ同じとして扱います。

社会不安障害(SAD)は日本での生涯有病率多さに比べ、受診率(実際に医療機関に行く率)が少ないといわれています。

その理由として、あがり症はまだ、恥ずかしがりや・内向的・内気などと性格の問題としてとらえられ、治療可能な病気(疾患)と社会的に知られていない事があげられると思います。

また、アメリカの社会不安障害の診断基準の中に“恐怖が過剰で不合理なことを認識している”とあげられていますが、日本で研究された対人恐怖には“それを恥ととらえる”とされています。

つまり、アメリカ人はあがりやすい事を“ばからしいことにこだわっているな”と考える傾向が強いのに対して、日本人はあがりやすい事を“恥ずかしくて人に相談できない”と考える傾向があるのではないでしょうか。

これらの点が日本人が“あがり症”で医療機関の門をたたくことの少ないことの理由ではないでしょうか。

『醜貌恐怖』ではなく、『醜心恐怖』について

ある先生が、ある講演の臨床報告の中で、『醜心恐怖』という言葉を使われていました。私は、そう名付けることもできるのだなと感銘を受けました。

対人恐怖は、恐怖する状況(演説恐怖、会食恐怖など)と、恐怖する身体的特徴(醜貌恐怖、赤面恐怖、ふるえ恐怖など)とに、だいたい分けられると思っていました。クリニックの先生の『醜心恐怖』は恐怖する心的(こころの)特徴に注目しています。

私も“あがり症”の診察している方の中で、“初対面の人は大丈夫だけど、人と仲良くなるのが苦手”、という人に出会うことがあります。そのような人たちの中に、“自分が醜いとか、汚いと思っている自分の心の特徴が知られるのが怖い”、という思いを持っているナイーブな人たちがいます。その人たちは“人間嫌い”なのではなくて、自分がどう思われるかに繊細な人に非常に気を遣う人たちです。

そのような心性を、『醜心恐怖』と、その先生は呼んだのではないかと思います。決して、“人とかかわるのが面倒臭い、嫌い”なのではないと思われます。

「あがり症」を進化生物学から考えると?

著名な先生の書かれたうつ病の本の「進化生物学からみたうつ病の意味」の章を読んで考えさせられることがありました。

著者は、「不安」は進化論の考えによれば、「適者生存」の結果残っているという仮説を取りあげています。その例として、ひとつは、捕食者であるキツネがたくさんいる環境で、臆病なウサギは「淘汰されなかった」と考えられ、もうひとつは、食物の枯渇する寒い冬のある環境で、将来起こるかもしれない危機に不安を感じるヒトは、それに備えることによって「淘汰されなかった」と考えられると、取り上げていると私は読み取りました。

しかし、筆者は「進化生物学による病気の解釈」の仮説の一つを、「本来適応的であって、したがって進化により残ってきた遺伝子が、環境が変わって不適応となり、病気になっている、という解釈である。」と述べています。

そして、「不安」も「ユウウツ」も現代社会に合わなくなった原因として、小集団で狩りをしていた人類社会と比較して、「言語による次世代への情報伝たちが確固としてきて、それが現代社会と合わなくなっている」と述べていると思います。

ここで、「あがり症」を対人関係(対人緊張)に関する「不安」として、現代社会と合わない病気と考えると、二つの疑問がわいてきます。一つは、なぜ小集団で狩りをしていた人類社会で「あがる」という性格は「適者生存」で、「淘汰されなかった」のか?もう一つは、上記のために残った「あがる」という性格が、なぜ現代社会と合わなくなって「あがり症」となったのか?これらは興味深い問題ですが、今のところ私には、納得のいく考えが浮かびません。なぜ現代社会の中で、「あがり症」という概念が、出現した?、発見された?のでしょうか。

ちなみに、日本精神神経学会では、SAD(Social Anxiety Disorder)の日本語訳の「社会不安障害」を「社交不安障害」と2010年に呼称変更しました。そういえば、「あがり症」の人は、社会一般が怖いのではなく、たくさんの人との交流が怖いとも考えられますね。

「あがり症」の人に人混みの平気な人と苦手な人がいる?

では、「あがり症」をアメリカで定義された社会不安障害(SAD)と、日本で研究された重症対人恐怖を含めて考えてみたいと思います。

社会不安障害(SAD)の人は人混みは平気なことが多いようです。「人混みに紛れていい」と楽なようです。

それに対して重症対人恐怖の人は人混みが苦手なようです。そのような人たちは、「街で見られている」、「街で自分のことを話している」と被害注察念慮や、「街で自分の容姿・動作が変と思われている」、「街で人に不快感を与えている」などと他害念慮が生じがちです。そのため、人混みで緊張・圧迫感を感じ、人混みが苦手なようです。

あがり症の人は昇進が苦手で不眠になりやすい?

ここでも、あがり症を社会不安障害(SAD)とだいたい同じとして考えてみます。

あがり症の人は、昇進して中間管理職になると、精神的につらいようです。リーダーシップを取って、部下に仕事を割り振りすることや、部署の責任者として外部と交渉することが、あがり症でない人よりも、苦手のようです。その中に、本人の感じるプレッシャーが強くなると、寝る前に仕事のことを考えて眠れなくなる人が多いようです。不眠を訴える人の中に、「あがり症の昇進」が背景にあり、うつ病の準備状態になっている人がいます。

最近はシステムエンジニア(SE)として働く人が多くなっています。あがり症の人がSEとしてプロジェクトのチームの一員として働くのは問題ないようです。その中でSEとして能力を評価されプロジェクトリーダーとして抜擢されたとたんに、プロジェクトをまとめてリーダーシップを取る役割を追加されると、あがり症の人はかなり強い心理的プレッシャーを受けやすいようです。不眠を主訴にして来院されるSEのなかに、うつ病準備状態の「あがり症の昇進」が隠されている場合があるようです。

あがり症に対する「恥」を、日本人は主観的にとらえ、アメリカ人は客観的にとらえる?

「あがり症」を日本の「軽い対人恐怖」とアメリカから入ってきた「Social Anxiety Disorder(SAD)・社会不安障害」と同じものとして考えてみます。日本の対人恐怖の説明には、本人は「対人恐怖」を「恥」と考えて悩むと書いてあります。そして、アメリカの診断の手引きにも、社会不安障害の診断基準に「自分が恥をかかされたり、恥ずかしい思いをしたりするような形で行動(または不安症状を呈したり)することを恐れる」と書いています。アメリカ人でも日本人と同じように「恥ずかしい」と考えるのですね。次に、日本では対人恐怖の人は「恥にとらわれ、執着する」とよく言われます。そして、アメリカの診断基準では「その人は、恐怖が過剰であること、または不合理であることを認めている」と書いてあります。この日本の「とらわれ・執着」とアメリカの「過剰・不合理」という点は、日本人とアメリカ人の「恥」に対するとらえ方の違いではないでしょうか。飛躍した理解かも知れませんが、つまり、日本人は「恥」を主観的考え、アメリカ人は客観的に考えるといえるかも知れません。

日本人には顔見知りのあがり症が多い?

「旅の恥はかきすて」ということわざがあります。これは、日本人は旅行をすると、大胆になり、思い切ったことをするという意味でしょうか。これを「あがり症(社会不安障害)(軽い対人恐怖症)」の観点からみると、日本人は、初対面の人の前では、固くならず、自由に行動できるが、顔見知りの前では、固くなり、行動を抑制するということでしょうか。そうすると、日本人のあがり症は、初対面の人に対してではなく、顔見知りの人に対して多いということができます。このことを、日本の「村社会」の概念から考えるのは、私の能力以上のことです。それはともかく、日本人の世界旅行好きと、マナーの悪さの定評は今もあるのでしょうか。

自己腹鳴恐怖は社会不安障害(SAD)か対人恐怖か?

自分のおなかの音(腹鳴)が周囲の他人に気付かれるのを恥ずかしく思い、苦しむナイーブな人たちがいます。この人たちは、恥ずかしさを、他人に注目されるから恥ずかしいと思うのであれば社会不安障害(SAD)と考えられますが、他人に不快感を与えて嫌われるのが怖いと考えるのであれば対人恐怖とも考えられると思います。これらの自分の腹鳴を恥ずかしいと思う人たちは、授業中や試験中で静かな部屋にいる時に、「おなかが鳴るのが恥ずかしい」と訴える思春期の男女、会議で静かになった時に「おなかが鳴るのが恥ずかしい」と訴える若い女性などが多いようです。いずれにしても、自己腹鳴恐怖も社会不安障害(SAD)に準じた薬物療法で軽快することが多いようです。

社会不安障害(SAD)でなく対人恐怖としての自己臭恐怖

日本でも、「人前であがるのがつらい」、「人に注目されるのが苦手」といった、1980年にアメリカから導入された社会不安障害(SAD)が注目されていますが、SADがアメリカで注目されたのも比較的新しいことです。日本では以前から対人恐怖として研究されて来ました。その中で社会不安障害(SAD)の診断基準からは外れてしまいますが(重症であるため)、似たものに自己臭恐怖があります。これは自分の体臭が周囲の人たちに不快感を与えていると信じている人たちのことです。この人たちは自分の体臭が相手に気付かれ、嫌われるのを恥ずかしく思い、苦しみます。周囲がなぜ自分の体臭を嫌っているかは、相手の表情、態度からわかると訴えます。例えば、自分がいるとクラスの人が鼻を鳴らす、同じ電車の車両に乗っている人が自分の座っている席から離れていくと訴えます。たいていの場合、体臭のもとは“おなら”、“ガス”と結論づけていることが多いようです。この人たちは、診察室では「自分の“おなら”が特別に臭い」、「自分から“ガス”が漏れている」と訴えることが多いです。これらの人たちも、本人の確信の度合いによりますが、社会不安障害(SAD)に準じた薬物療法で軽快することがあります。

人前で吐くのを恐れる社会不安障害(会食恐怖)

人前で吐くのを恐れる社会不安障害の人たちがいます。たいてい人と一緒に食事ができないので会食恐怖ともいわれます。これらの人たちは社員食堂で食べられず、独りで食事をするので変わっていると思われたりします。また、女性ではデートに誘われても断ったり、デートで食事をしてもほとんど食べなかったりして、男性に好意を持たれていないと誤解されたりします。(男性では、好きな女性を会食に誘えない苦しみとなります。)さらに、飲み会に誘われても断ったりして、付き合いが悪いと誤解されがちです。これらの人たちが、自分が嘔吐恐怖であり、治療可能であるとわかれば、今までより楽に生活できるようになります。

吐き気のパニック障害

パニック発作の症状が吐き気だけの人たちがいます。これに広場恐怖が伴うと閉ざされた逃げられない状況が苦手となります。例えば、長い時間降りられない電車・バス、抜けられない会議、テストが苦手です。しかし、いずれの場合も、トイレにいつでも行けるのなら大丈夫です。例えば、トイレのない特急電車は苦手でも、トイレのある新幹線は平気です。そのため、吐き気のパニック障害の人たちは、たいていの駅のトイレの位置を覚えています。これらの人たちが苦手とするのは、集団パック旅行です。いつトイレ休憩になるかわからず、トイレのためにバスを途中で止めるには言い出しにくいからです。この症状が激しくなると、外で吐くのが怖くて、家に引きこもりがちになったり、外で吐くのが怖くて、自宅で食べるのを制限して摂食障害とまちがえられることがあります。このような人たちにも、パニック障害と診断して治療をすれば、よくなります。

なぜ社会不安障害(SAD)がアメリカに多いのか?

対人恐怖という概念のなかったアメリカに比べ、対人恐怖という病名が昔からある日本でのほうが、社会不安障害(SAD)がより多いと思われるでしょう。しかし、最近の報告では、社会不安障害の有病率は日本でよりアメリカでのほうが高いのです。その原因の説明として、アメリカは競争社会であり、恥ずかしさや謙遜よりも自己主張が重視されるため、アメリカ人の中にもその流れに乗れない人が多いのではないかという考えがあります。それが正しいとすれば、今後日本でも社会不安障害は増えていくのではないでしょうか。なぜなら、これから日本でグローバリゼーションに伴うアメリカナイゼーションが進むと思われます。そしてアメリカ並みに競争社会となり、人前で個人が自己主張しなければならない機会が増えていくでしょう。日本でもその流れに乗れない人が、社会不安障害として増えていくのではないでしょうか。

アメリカ人の他者視線恐怖と日本人の自己視線恐怖

アメリカで社会不安障害(SAD)の研究をしているMichael R. LiebowitzのLSASという症状評価尺度には、「人々の注目を浴びる」、「あまりよく知らない人と目を合わせる」といった項目、つまり「他者の視線に苦痛を感じる」といった「受動性」と受け取れる項目があります。言い換えれば他者視線恐怖といえるでしょうか。それに対し昔から日本で議論されてきた重症対人恐怖症には自己視線恐怖といわれるものがあります。この自己視線恐怖は「他者に自分の存在をどのように評価されているかを強迫的に疑い・不安に陥り・とらわれているという心性」が中心的な苦痛で、「受動性」と受け取れますが、「加害性」を帯びているといわれています。これは、自分の視線が、「他人に不快な感じを与えている」・「自己が他者に害を及ぼしている」と悩むことです。このように対比すると同じように「見られるという受動的状態」に対し、アメリカ人は他者視線恐怖といった他者志向的・外交的に反応し、日本人は自己視線恐怖といった自己志向的・内向的に反応するのではないでしょうか。言い換えれば、アメリカ人より日本人のほうが、ある限度を超えると、自己執着的・主観的になると言えるのではないでしょうか。そしてここで飛躍しますが、「他人に嫌われるのが怖いと恐れる」多くの日本人の心性は自己愛的傾向の心性の裏がえしと推測できるのではないでしょうか。

よく知らない人より顔見知りが苦手な社会不安障害(SAD)がある?

社会不安障害(SAD)はよく知らない人に注目され、恥をかくことを恐れると言われています。会議や集会などでよく知らない人たちの前で発表するのが苦手と言うのが典型的な例でしょうか。

しかし、クリニックで診療をしていると、初対面の人より顔見知りの人が苦手という人に出会います。例えば、外回りの営業で不特定多数の人たちの前でしゃべるのは平気だが、会社で同僚と雑談するのが苦手という男性がいます。さらに、ばりばりのキャリアウーマンで大勢の前で講演するのは平気だが、子供の懇親会で少数のお母さまたちの前で自己紹介をするのが苦手という女性がいます。この二つのケースを無理に一般化すると、仕事では平気だが、プライベートで顔見知りの人を相手にするは苦手ということでしょうか。しかし、これはあくまで推測です。

とにかく、初対面より顔見知りが苦手な社会不安障害(SAD)のケースがあり「スマートフォンメール中毒」は重症の対人恐怖と関係するか?

人前であがるといったことがSAD(社会不安障害)といわれ、注目されています。ここで「スマートフォンメール中毒」は日本の重症の対人恐怖と関係があるのではないかという仮説を述べます。

アメリカで研究されたSAD(Social Anxiety Disorder 社会不安障害)は他人に注目される恐怖のみを扱っています。それに対して日本で研究された重症の対人恐怖は自己臭恐怖、自己視線恐怖、醜形恐怖などと呼ばれ、加害・忌避関係妄想性を帯びているといわれています。また、この恐怖は、他人に注目される恐怖に加え、「相手に不快感を与えるのではないか?」、「相手に嫌われるのではないか?」といった他者志向性を持っているともいわれています。アメリカ型社会に近づきつつあるといわれる日本でも、アメリカで発生頻度が少なくないとされたSAD(社会不安障害)が注目されています。しかし、クリニックで診療している感触では、SADだけでなく、「不快感を与える」「嫌われる」といった日本型の心性をもった人たちは少なくないと思われます。

その一つの例として、クリニックのケースではありませんが、社会現象としての「スマートフォンメール中毒」をあげたいと思います。現代の若者の中で携帯電話はなくてはならないものになっています。その中で一部の若者は自分が出した「ケータイメール」に返信がいつくるかといったことに心を奪われている「ケータイメール中毒」と呼んでよい状態になっているそうです。数十人の人たちと「スマホメール」を一晩中やり取りしたり、返信の「ケータイメール」がすぐに来ないと不穏になったりする若者がいるというのです。これらには、相手が自分に対して肯定的な関心を持っていることに携帯電話を通して執着する心性が見られます。その背後には、日本で注目された重症の対人恐怖と同じ「相手に嫌われるのではないか?」という恐怖が隠されているのではないでしょうか。

しかし、精神医学的な考えを社会に当てはめて断定する前に、人は「誰からも好かれたい」と望むのではないかと考えるほうが普遍的ではないかと反論されるかもしれません。「誰からも好かれたい」という気持ちが「スマホメール」のやり取りに強く出ているだけかも知れません。

パニック障害の頻尿と社会不安障害の頻尿(頻便)

教室、会議室で頻尿(頻便)になると苦痛を訴える人たちがいます。

この切迫した尿意による苦痛には二つのタイプがあると考えられます。

一つは広場恐怖を伴うパニック障害によると判断される頻尿(頻便)による苦痛です。授業や試験により教室に拘束される時や、あるいは重要な会議のため中座を申し出ることができない時など、閉ざされた逃げられない状況になることを予想したために生じる広場恐怖を伴うパニック障害によると判断される切迫した尿意(便意)による苦痛です。

もう一つは社会不安障害によると判断される頻尿による苦痛です。教室でよく知らないクラスメートに顔を合わせなければならない時や、会議で自分の意見を発表しなければならない時など、人の注目を受けることを予想したために生じる社会不安障害に伴う切迫した尿意(便意)による苦痛です。

では就職活動で会議室で面接を受ける場合の頻尿(便意)による苦痛はどうでしょう。重要な面接のため中座を申し出られないと予想したために生じた広場恐怖を伴うパニック障害による切迫した尿意(便意)の苦痛でしょうか。それとも、面接官たちの質問に対し自分の意見を発表しなければいけないと予想したことによる注目されることを恐れる社会不安障害による切迫した尿意(便意)による苦痛でしょうか。いずれにせよ鑑別診断の難しいケースです。